The Rotary Club of Tokyo-Kohoku
夏季交換学生プログラムについてのお知らせ
夏季交換学生の歴史
ロータリー情報委員会
国際奉仕委員会
 
 
 25年史・30年史・40年史・ウオルナット・クリークRC60周年・65周年式典参加報告書、ウオルナットクリークRC名簿より抜粋
 
 大きな事業や歴史的事実の最初のきっかけが、ちょっとした偶然から生まれたと言う話は、良く耳にすることである。
 東京江北ロータリークラブとウオルナット・クリークロータリークラブとの間で始まった、夏季交換学生のプログラムの発端も、正にその通りであった。
 
 1966年(昭和41年)6月のことであった。
 アメリカのコロラド州デンバーで国際大会が開催され、全世界から13,000人あまりのロータリアンが集まった。
 大会2日目、レッド・ロック・シアター開会を待っていた当クラブの田中三郎会員は、神守パストガバナーと並んで座っていた。
 そこへ一人のアメリカ人のロータリアンが近づき、いきなり神守パストガパナーに「カナメ・フタバと言う人を知らないか?」と尋ねた。
 「その名前は聞いたことがある。ひょっとして君の所の双葉さんではないか」と神守パストガパナーが田中会員に聞いた。不思議な縁である。
 日本には何百人ものフタパさんがいるであろうが、そのアメリカ人が探していたフタパさんは、かって東京江北RCのメンバーであった二葉 要氏だったのである。
 そしてそのアメリカ人は、次年度ウオルナット・クリークRCの会長を務めるアドリアン・メンデス氏であった。
 お互いに偶然という事実に驚きながら、メンデス氏は戦後日本にいたおりに、二葉氏に大変世話になったというのである.
 翌日、田中会員は、同氏夫妻と子供たちと一緒にロデオ大会を見に行き、うちとけたムードになって行った。
 大会も終わる頃、メンデス氏一家は田中三郎会員に、どうしても帰路ウオルナット・クリークに寄って、自分の家に泊まって行ってくれと、嘆願するので、田中会員は、帰りの予定を変更してサンフランシスコに立ち寄り、ウオルナット・クリークを訪問した。
 
 その晩は、同クラブの新旧会長のパーティに出席、翌日は彼の経営するパーマー・スクールを見学している間に、ふとしたことから、お互いに何かあとに残ることを共同でやってはどうか、と言う話が持ち上がり、それでは両クラブのメンバーの子供たちを、夏休みの間だけ交換しあい、それぞれの家庭で預かってはどうか…。
 ふとしたはずみに出た言葉の意味をかみしめながら別れた二人は、それぞれのクラブで、ことの成り行きを説明、全会員の賛成を得て、夏季交換学生交換プログラムが誕生した。実行は早かった。
 この出逢いから1年後の翌1967年(昭和42年)の夏には、第一回目の交換学生をお互いに送ったのである。
 その方法としては、両クラブから各1名づつ選出し、往復の旅費はその子弟の親であるメンバーが負担し、お互いに受け入れ側のメンバーが宿泊、旅行、見学、その他一切の面倒を見ることである。
 それ以来、今日まで一度もとぎれることなく続き、その間、特に大きな問題もなく行われている。
 
 この36年間の間に参加した子弟は、両クラブ合わせて72名の他に、機会あるごとに相互の訪問した両クラブメンバーも各40名を下らず、当クラブメンバーが1977(昭和552年)年6月のサンフランシスコにおける国際大会の折りには、会員家族を含めて17名がウオルナット・クリークを訪問し、クラブの例会にも出席し、全員が各メンバー宅に宿泊したことは、大きな意義のあることであった。
 1978年(昭和53年)5月に開催された東京大会には、ウオルナット・クリークRCメンバー数名とその家族が来日した。
 当クラブはこぞって歓迎し、懇親の実を深めたことは忘れ得ぬことであり、両クラブの親交はいっそう高まったことである。
 更に、1983年(昭和58年)の夏には、この計画の最初の提案者であり、毎年最大の協力者であるアドリアン・メンデス氏夫妻が来日し、2ケ月間ほど滞在した思い出は、当クラブ会員の胸の内に深い印象を残した。
 こうした日米両国におけるロータリーの両クラブが果たした国際親善の業績は、国際ロータリーの認めるところとなり、1982年(昭和57年)に開催された地区年次大会の席上「意義ある業績賞」を授与されたことは、この計画に華を添えるものであった。
 
 1985年(昭和60年)2月メンデス氏が第526地区ガバナーに就任され、そのお祝いとして両クラブメンバー及び家族40数名がホノルルに会し、いっそうの親睦を深めると共に、楽しい会合であった。
 1987年(昭和62年)3月にウオルナット・クリークRC創立50周年記念式典に家族共々総勢30名で参加し、席上紋付き羽織袴の今井会長が墨痕鮮やかな巻紙の祝辞を朗読した際には、ウオルナットのメンバーの中には、あれは一体何ごとかと目を見張る人もいました。記念式典には、田中メンバーと今井会長が紋付き羽織袴で、ご婦人方は全員和服で出席しました。
 1990年(平成2年)3月の当クラブの創立30周年記念式典には、ウオルナット・クリークRCからは7夫妻を含む18名のメンバーがお祝いにかけつけ、当クラブでは歓迎委員会を設置し、ホストファミリーの夕べに始まり、ソニー・メディア・ワールド職業奉仕ツアー、日光観光、さよならパーティなどで、より一層の両クラブの親交を深めた。
 創立30周年記念式典では、メンデス氏より夏季交換学生のプログラムは、ロータリークラブの中でもワールドチャンピオンであるとの祝辞を頂き、多くの来賓の方々からも絶賛の拍手を頂いた。
 1997年(平成9年)4月にウオルナット・クリークRC60周年記念式典が開かれ、当クラブからは4夫妻・2親子を含む17名が参加し、玄関の脇におかれた当クラブから寄贈された石灯籠と歓迎の日章旗が印象的なメンデス氏の家で歓待を受け、記念式典では、当クラブからは60周年を記念してフラッグポールを贈呈し、感激的なプレゼンテーションと楽しいひとときを過ごし、また滞在中はアメリカ流の歓待を受け続け、参加したメンバー全員が満足して帰途についたのである。
 2000年(平成12年)3月にはメンデス氏を団長に、日本からの夏季交換学生のフォストファミリーを務めて頂いた20名のウオルナット・クリークのメンバーが、当クラブ創立40周年記念式典に参加され、式典の入場に際し、潤徳女子高等学校のブラスバンドが、国歌「星条旗よ永遠なれ」を吹奏し大好評をであった。
 また、メンデス氏より、夏季交換学生プログラムは世界で最も長く続いているプログラムであり、青少年に言語の習得、習慣・文化の理解、ロータリーの国際理解の考え方を学ぶことに大いに役立っているとの祝辞を頂いた。
 2002年(平成14年)にはウオルナットクリーク65周年記念式典があり、当クラブからは14名が参加した。ウオルナット・クリークRCの出席者の中には、歴代夏季交換学生17名が参加して私たちを迎えてくれたことと、私たちにテンガロンハットとスカーフを首に巻き付けて、カーボーイ姿で入場させた演出が深い印象で残っている。
 
 メンデス氏のガバナー就任祝いのハワイ訪問を契機に、両クラブの親交はクラブ間のメンバーの交流や記念式典への参加など、夏季交換学生の青少年の交流と共にクラブ間、メンバー間の交流へと進展している。
 特に37年の歴史の中で、1998年のウオルナット・クリークからの夏季交換学生Doug Tyler(ダグ・タイラー)君と2000年の当クラブからの夏季交換学生坂田 佳子さんとの結婚が生まれたことは、このプログラムが如何に両クラブの親交が自然と深い結びつきになっているかを物語っている。
 
 ウオルナット・クリークロータリークラブの名簿には、次の様な文面が記載されている。
 友好クラブ:東京江北・日本
 
 ウオルナットクリークと東京江北の両クラブは、1967年より毎年、夏季交換学生プログラムを実施している。
 国際ロータリーのどの活動にも属さず、このプログラムは、熱意あるこの二つのクラブ間で直接行われている。
 毎年、大学に行く年齢の学生一人が夏の時期に相手クラブを訪問している。
 世界の3万を超えるロータリークラブの中で、このプログラムは最も長く継続している。
 このプログラムを通して生まれる理解、善意と友好は、世界をより住み良い所にしようと言う国際ロータリーの哲学を前進させるものである。
 これまで何度か、両クラブは特別な記念行事のごとに、相互を訪問している。最も友好的であったのは、1985年両クラブのハワイ・ホノルルでの四日間である。
 その後も、個人的立場で、多くの人がことあるごとに訪問をしている。
 太平洋の両岸での大地震の際、両クラブで財政的な援助を行っている。
 両クラブにおけるプログラムの成功は、多くのメンバー個人の参画によるもので、学生が受ける恩恵は計り知れない。
 文化をより深く理解しようとすることこそ、このプログラム成功の決定的要因である。

 
 
 
 
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